[3・4月号][連載]on that day, at that day あの日あの時 〜とやまスポーツ回顧 Vol.2

創刊特別編
1986年 新湊旋風 下

立野貢史・文、構成
六渡達郎・写真

連載「あの日あの時〜とやまスポーツ回顧」は、富山のスポーツ名シーンを当時の北日本新聞などを基に振り返り、関係者に再取材して構成します。

撮影協力:新湊高校

檜物政義
元新湊高校野球部監督
Masayoshi Himono

酒井盛政
元新湊高校投手
Shigemasa Sakai

ミラクルは、だから、起きた
第58回選抜高校野球大会(1986年)に初出場した新湊。
甲子園球場は無名チームの躍動に、期待を膨らませた。
そして大会期間中、新湊に代名詞が付いた。「ミラクル」と──。
(文中敬称略)

センバツ初出場の新湊は、1回戦の享栄(愛知)を10の完封で、2回戦の拓大紅陵(千葉)を74と逆転で下した。もちろん、富山県勢で初めてのセンバツベスト8。エースの酒井には派手なスピードボールはないが、コーナーを丁寧に突く。監督の檜物はこつこつとミートを心掛ける基本に忠実な素朴な野球を教え、それを選手が心掛けた成果が表れた。

檜物 私たちは打率、防御率などデータでは不利でしたが、普段通りの野球をやって諦めないことで「ミラクル=奇跡」が起こるものと思いました。いい表現をしてもらったと思っています。
酒井 「ミラクル」という英語だと格好よく感じるけど、日本語だと「奇跡」ですよね。自分たちがやってきことは練習に裏付けられた実力だから、子供心にちょっと奇跡には抵抗があったなあ(笑)。雪国の私たちでも頂点に立てるチャンスがある気持ちに、少しずつなっていましたね。

準々決勝の相手は京都西(京都)だった。1回戦で甲府商(山梨)に111で大勝し、2回戦は函館有斗(北海道)に64で逆転勝ちして波に乗っていた。上り調子の新湊、京都西両チームの対決は互角とみられた。準々決勝は2回戦から2日後の4月2日。酒井は疲れがたまっていたのか、初回から球がおじぎしていた状態で、切れがなかった。

酒井 この日は朝から体が重かったのです。これまでとは違和感がありましたね。肩などの調子は悪くありませんでしたが、マウンドに立つとだめでしたね。
檜物 連投の疲れは分かりましたよ。肩で息をする姿も見えたのです。球の切れは全くありませんでした。何点取られるかと思いました。

緊迫の11
九回まで譲らず

二回裏に京都西が1点を先制。その後も酒井の球に切れは戻らない。しかし、バックが盛り立てた。五回裏にはフェンス際の大飛球を左翼手・塩谷一郎がジャンプしてつかんだ。捕手の水谷勇一は一回裏、三回裏に計3度も二盗を阻んだ。六回表に新湊が石井正人の左前適時打で同点に追い付いた。九回まで両者譲らず、11の緊迫した試合となった。

酒井 ヒットを打たれた場合は仕方なく、後は打たせて取ればいいといつも思ってました。四球の方がすっきりせず嫌でしたね。また、私はセットポジションの方が、振りかぶらないから球は安定しましたね。セットによってコーナーを突けるんですよ。精神力で投げ続けました。バックが何とかしてくれると信じていました。

・・・続きは本誌で